とおいそらのしたへ

「シロップには水と砂糖だけでなく、オレンジの花から作ったとても香りがいいオレンジ水も入っているんですよ」とモニアさんは説明してくれる。

オレンジ水と聞いて蜜柑水を思い出す。木山捷平著、尋三の春だ。

主人公は遠足で行った先で蜜柑水に出会う。この店は喫茶店のようなものではないが、それは1杯いくらの値付けであり、その場で貸した器におばちゃんが注いで提供していた。驚くほど美味しいこの蜜柑水を家族の皆にも飲んでもらいたいと思い、彼は店のおばちゃんに一瓶いくらかと尋ねる。そのような売り方を考えていなかったおばちゃんは困惑しながら答える──「壜ごと?そうじゃな、ええと、壜ごとなら1銭」

こんなことを云うと怒られてしまいそうだが、SFも時代小説もファンタジーもミステリもわたしにとってあまり変わらない。わたしには起こらない出来事という意味で。そういう意味で、ほとんどの小説は同列である。違う世界線の出来事を追体験させてくれるものだ。わたしを遠い何処かへ連れて行ってくれるものだ。

それひとつで1日分の栄養素を全て摂れる腹持ちのよい未来の食事と兵糧丸に違いはない。どうせどちらもそうそうお目にかかれないのだ。いや、デイリーポータルZにかかれば兵糧丸を作ったり牛乳を3時間煮たりされてしまうのでアレだが。

わたしがチュニジアを訪れる可能性はだいぶ低い。よってチュニジアのオレンジ水と蜜柑水に違いはほとんどない。それはつまり、チュニジアはわたしにとって非現実だということである。

そして蜜柑水のあの小説は何だったろう、本は実家だから読めない、と思いウェブを検索したところ木山捷平/尋三の春: 【別館】表現よみ作品集が見つかった。こういった試みは面白いね。

ちなみにこの読み上げは全文ではない。おかげで遠足の詳細がはっきりせず、先に記載した件は完全に記憶頼りとなった。……買い直そうかなあ。実家へ行けば分かる話ではあるんだよなあ。でもあっても悪くないくらいには好きなんだよなあ。