今更ながら意図を伝えることのなんと困難なことか

ボードゲームを遊んでいる際、「どうでもいいよ、もう」と言ったら「それは言っちゃいけない台詞だ」と返された。

どういう意味で言ったのか、深く詮索するだけの時間と雰囲気はなかったので聞いていない。というか、少なくとも最近のわたしは基本的に即応することができないのだが、それはまた別な話なので置いておく。本人に意図を確かめたわけではないと前置きしたいだけである。

それを踏まえて。わたしは勝手に、「どうでもいい」という表現が適当に過ぎるのかと妄想した。知らないよ勝手にやってくれ、と受け取られたのだろうかと。

もしそうなら、同じ卓を囲んでゲームをプレイしている仲間がいるにも関わらずクリアを諦めたようにも見える。確かに失礼である。特にそのときプレイしていたモノは協力ゲームに分類されるため、ひとりがゲームを放棄すれば他のプレイヤーにもマイナスの影響が発生するだろう。

しかし、わたしの意図としては「どの選択肢を選んでも現状では一長一短であり、最善どころか次善さえない。あなたの好きな行動をしてくれればよいと思う。仮に結果論として失敗だったとしても構わない、一任する」であった。ゲーム自体がどうでもよくなったのではない。そのプレイヤーが何をしてそのターンを終了させても良い、その程度の浅い考えである。

それを察した上で冒頭の遣り取りになったのかどうか。わたしの妄想が正しいのか。機を失してしまったので判らない。わたしの言葉が足りなかった可能性が高いコトは理解した。

大昔、TRPGセッションへ試しに参加させてもらったとき。NPC2人連れへ「なぜ一緒にいるの?」と聞き、「あーあ、これだから素人さんは。そんなことは聞いちゃいけないのに」というリアクションをいただいたコトを思い出す。これもわたしが勝手にそう感じただけかもしれないが。何らかのゲーム内における設定があることを期待しただけで、それがなくとも、ひとこと、何でも良いから返事がもらえれば満足したのに。「たまたま、な」で、よかったのに。

今も昔も、わたしはなんと身勝手なことだろう。