あたまがわるい

無駄に生きて他人様とおしゃべりすると、如何にわたしが考え無しで馬鹿で阿呆で頓珍漢なのかを常々思い知る。

わたしが自信をもって誰かと討論や議論可能なほどの知識を持つ何かが存在しない。全ての領域で教えを請うしかない。わたしの思いや考えなど、家の庭で行う焚き火の燃料程度でしかない。せいぜい芋を焼いて食うことぐらいなら出来るかもしれないね。

例えそれがいわゆる有意義な意見交換の類ではなくとも、世の中にはわたしの知らないコトばかりである。当然である。どんなコトでも知り尽くすなんて出来やしない。

せめてどれでもよい、好きなモノをひとつ選んで専攻するべきなのだろうが、この出来の悪い頭ではどんなに努力しても底辺から這い出せない自信ならある。そしてそれ自体が言い訳であることも認識している。

生きるんて……つらいなぁ、などと園城寺怜の真似をしてみたり。あれとは比べものにならないのだがね、もちろん。

何時からだろう、ゲームの中でさえ、「失敗」を恐れるようになったのは。